茂木町(もぎまち)は長崎県西彼杵郡の南部、長崎半島にあった町。1962年(昭和37年)に式見村とともに長崎市に編入された。

現在の長崎市茂木地区にあたる。

地理

野母半島(長崎半島)北部に位置し、南東の海岸線を橘湾に接する。

  • 山:矢岳、唐八景、戸町岳、熊ヶ峰、八郎岳、小八郎岳
  • 河川:川平川、千々川、若菜川
  • 港湾:茂木港

歴史

当地は古くは「裳着」と表記された。これは神功皇后が三韓征伐の際に当地を訪れ、裳を着替えた事が由来とされる。後に読みやすいよう「茂木」と表記するようになったと伝えられているが、表記が変わった年代の詳細は判っていない。

古代から江戸時代まで
  • 994年(正暦5年)- 大村直澄の領地となる。
  • 1580年(天正8年)- 領主大村純忠が長崎村と茂木村をイエズス会に寄進。
  • 1587年(天正15年)- 豊臣秀吉、イエズス会より長崎村と茂木村を没収。
  • 1614年(慶長19年)- 徳川幕府領となる。
  • 1616年(元和2年)- 松倉豊後守重政が大坂夏の陣での功績により、大和五条藩から肥前島原藩に転封され、茂木を領地とする。
  • 1638年(寛永15年)- 島原の乱の後、高力摂津守忠房が遠江浜松藩から島原藩に転封され、茂木を領地とする。
  • 1668年(寛文8年)- 幕府領となり、長崎代官の管轄下に庄屋を設置。
  • 1720年(享保5年)- 島原藩領となる。
  • 1768年(明和5年)- 長崎高木作右衛門忠興(8代目)が長崎代官となり、その所領となる。
  • 1833年(天保4年)- 千々名藤田尾と佐賀藩領為石村の境を協定。(1837年(天保8年)まで)
明治以降
  • 1872年(明治5年)- 大区小区制の施行により、長崎県高来郡第二区第七小区に編入される。
  • 1874年(明治7年)- 深堀、高浜、野母、脇岬、樺島、川原、為石、布巻を含めて一大区となる。
  • 1878年(明治11年)- 一大区が八ヶ村に分離する。
  • 1879年(明治12年)7月 - 郡区町村編制法施行により、西彼杵郡の管轄となる。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制施行により、西彼杵郡茂木村が単独村制にて発足。村役場を本郷字片町(現・東長崎商工会茂木支所の敷地)に設置。
  • 1898年(明治31年)10月1日 - 古賀浦名・小崎名を日見村に編入。
  • 1919年(大正8年)10月1日 - 町制施行し、茂木町となる。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 藤田尾名(とうだお)を為石村に編入。
  • 1962年(昭和37年)1月1日 - 式見村とともに長崎市に編入し、自治体として消滅。

地名

名または郷を行政区域とする。茂木町は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。(発足当初は茂木村)

  • 飯香浦名(いかのうら)
  • 大崎名
  • 太田尾名
  • 北浦名
  • 古賀浦名 - 1898年、日見村に編入。
  • 小崎名 - 1898年、日見村に編入。
  • 木場名(こば)
  • 田上名
  • 田手原名(たでわら)
  • 千々名(ちぢ)
  • 藤田尾名(とうだお) - 1947年、為石村に編入。
  • 本郷
  • 宮摺名

交通

  • 長崎自動車
  • 国道324号

産業

農業を主産業とし、特にビワの栽培が盛んに行われている。

名所・旧跡

  • 裳着神社(八武者大権現)
  • 茂木植物化石層

参考文献

  • 『角川日本地名大辞典』 42 長崎県
  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
  • 西彼杵郡現勢一班「茂木村現勢概要」(1926年)国立国会図書館デジタルコレクション
  • 長崎市役所茂木支所 編『茂木をたずねて』2012年、長崎市役所ウェブサイト
    • 茂木のあゆみ (PDF)
    • 茂木の散歩道 (PDF)
    • 古写真をたずねて-懐かしい写真- (PDF)
    • 茂木地区年表 (PDF)

脚注

関連項目

  • 長崎県の廃止市町村一覧
  • 長崎市の地名
  • 茂木 (長崎市)
  • 裳着

茂木町観光協会

茂木城~栃木県芳賀郡茂木町~ 裏辺研究所「日本の城」

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長崎県長崎市茂木010|UnoFOTO 京都写真美術館