柳田 元三(やなぎた げんぞう、1893年(明治26年)1月3日 - 1952年(昭和27年)10月7日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は中将。

人物・来歴

長野県東筑摩郡片丘村(現塩尻市)の小松家に生まれる。のちに母親の旧姓で旧諏訪藩士の柳田家を継いだ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、幼年学校、陸軍士官学校を経て、陸軍大学校を通して、稀代の秀才と言われる。

陸大(34期)卒業時には、成績優秀(4位/68名)により恩賜の軍刀を受けた。同じく陸大の恩賜の軍刀組である小松慶也(陸士9期)は、柳田の叔父に当たる。

年譜

  • 1914年 陸軍士官学校卒業(第26期)
  • 1922年 陸軍大学校卒業(第34期優等)
  • 1932年12月7日 ポーランド公使官附陸軍武官兼ルーマニア公使館附陸軍武官
  • 1934年3月5日 関東軍参謀
  • 1935年8月1日 陸軍省軍務局徴募課高級課員
  • 1936年8月1日 近衛師団参謀
  • 1937年8月2日 陸軍歩兵大佐・陸軍省軍務局徴募課長
  • 1938年7月15日 歩兵第1連隊長
  • 1939年8月1日 陸軍少将・第11軍参謀副長
  • 1940年3月9日 ハルビン特務機関長
  • 1940年8月1日 関東軍情報部長
  • 1942年12月1日 中将に昇進
  • 1943年3月10日 第33師団長に任ぜられる。
  • 1944年5月16日 インパール作戦失敗のさなか、上級部隊の第15軍司令官牟田口廉也中将と対立、第33師団長を解任され参謀本部付となる。
  • 1944年6月22日 予備役編入。
  • 1944年6月23日 召集・旅順要塞司令官
  • 1945年5月30日 関東州警備司令官に任ぜられる。
  • 1945年8月 敗戦によりソ連に抑留される。
  • 1952年10月7日 モスクワで死去
  • 2010年9月6日 厚生労働省によりシベリア・モンゴル地域で死亡した15人のうちの一人として身元が特定される。

栄典

  • 勲一等旭日大綬章
外国勲章佩用允許
  • 1944年(昭和19年)3月30日 - 満州国:勲一位柱国章

脚注

参考文献

  • 赤羽篤ほか 編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。ISBN 4876631263。 
  • 秦郁彦 編著『日本陸海軍総合事典』(第2版)東京大学出版会、2005年。 
  • 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。 

関連書籍

  • 高木俊朗『インパール』(文春文庫)(1975年1月、文藝春秋)ISBN 978-4167151010
  • 山岡荘八『小説 太平洋戦争(1994年8月、講談社)ISBN 978-4062070911

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